人とのつながりは、いつも一緒にいる事じゃなく、相手が本当に困っている時に自分の事の様に考えられるかどうかという事だ。人とのつながりが欲しかったら、手当たり次第人の中に首を突っ込むより、困難に対面した時に逃げずにあきらめないことや、人を助けられる力をつける事が先決。そういう人間であればいい。
そういう考えだった。
でも、人は俺を必要としていない。必要としていない人に無理強いはできない。
それに、人が困っている事はたいてい人の中の問題で、人を否定する力を持たないと、その人の為に誰かを否定しないと解決できないような問題で、どちらかを選ぶというもので、誰かを否定しないとだめだ。人を助けられる強いひとはひどい人という事で、決まっている人にだけ自分の事の様に考えて、その他の人に対してはひどい人というのが、人とのつながりを持っている人という事だ。
誰とのつながりも持たずに、たくさん人がいるところを一人で歩くと孤独を感じる。誰かと歩いている周りの人にとって俺はその他の人で、どうでも良い人、つながりを求めてもしょうがない。
これまでの中で、自分の事の様に思える相手を持って、その人とつながっている。そういう集まりがたくさん集まっているというのが実体なら、その相手を持っていない人間はそのまま一人でいる事になるだろうか。なぜ今まで一人でいたのに、つながりを求めるのか。そう逆に聞かれたらなんて俺は答えるか。
今までは人との関わりは煩わしいと思っていた。でも本当に全く無くなると、困る。他の人たちはみんな人との関わりで動いている。
常に人とのかかわりがあって、その中で、一人になりたいと思っていた。一人でいられれば良いと思っていた。一人になってみると人とのかかわりも欲しいと思うとは、思っていなかった。
誰にとっても、俺はその他の人間だ。誰も必要としていない。助けてもらうだけの迷惑をかけるだけの存在だ。迷惑を掛けたいんじゃない。つながりが欲しい。何か、お年寄りと同じ思考回路だ。必要とされていない事。
だから力を身につけようとする。人の世話になりたくないと意固地になる。
力とはなにか。ちからとは何か。
喧嘩が強いこと。格闘技を習う
頭が良い事。難しい資格を取る それらを手に入れたところで、欲しい物は手に入らない
人を助けられるではなくて、一人前とは何か。
自立している事。働いて一人暮らしをしていればよい。毎日の生活を自分一人の力で維持していればよい。そうやって人生を終える。それが俺の人生ということで、それ以上を求めるのがとんちんかんな事であるという事じゃないのか。甘えに甘えているという事じゃないのか。
人に必要とされる事
俺の人生っちゃ なんぞね?
あったかいコーヒーを飲む
ゴミとかきれいに効率的に用事が捌ける
ひとりぐらし。
あったかいコーヒーを飲む
ゴミとかきれいに効率的に用事が捌ける
ひとりぐらし。
自分以外の人間も、ただの人間だということ。
自分の弱い部分、見せたくない部分を 見せて、認めてもらおうとする。
認めてもらって初めて、価値のあるものになるという思考回路。
認めてもらわなくても、いい。それは自分。見せる必要は無い。
見せられる方もたいへん。
自分が無ければ何も楽しくない。自分で決める。
人と一緒にはなれない。自分が楽しい事でいい。
体力が無いこと。
髪の毛の切り方
漫画喫茶
ほんをよむこと
自分の幸せは人の幸せとは違うこと。
一人で暮らす事。
人からどう見えるか。体裁。人から認められることという要素を満たそうとしている。
一人でいるのに 楽じゃない状態。これは何か?これはいらないことだ。
人から認められる自分を強制しようとしてがんばっても、辛いだけ。
人からどう見えるか
まともになろうとしている
そのために動いている
そのためにどうするかを考えている
自分がどうしたいかを考えようとしているのに
人と一緒にはなれない。自分が楽しい事でいい。
体力が無いこと。
髪の毛の切り方
漫画喫茶
ほんをよむこと
自分の幸せは人の幸せとは違うこと。
一人で暮らす事。
人からどう見えるか。体裁。人から認められることという要素を満たそうとしている。
一人でいるのに 楽じゃない状態。これは何か?これはいらないことだ。
人から認められる自分を強制しようとしてがんばっても、辛いだけ。
人からどう見えるか
まともになろうとしている
そのために動いている
そのためにどうするかを考えている
自分がどうしたいかを考えようとしているのに
何を目指すねん 何で人を避けんねん 人となるべく関わらないようにして、その先に何があんねん。
人に認められたいんか ほんで一生懸命人に認められるようにがんばって、その先に何があんねん。
ただ生きるために生きろや 考えて何も出てこないなら何もないねん ただ生きるためにいきろや。
何のために生きてんねん 何かを目指せや そのためにがんばれや。
ただ生きろや ただ楽に生きろや。
人に認められたいんか ほんで一生懸命人に認められるようにがんばって、その先に何があんねん。
ただ生きるために生きろや 考えて何も出てこないなら何もないねん ただ生きるためにいきろや。
何のために生きてんねん 何かを目指せや そのためにがんばれや。
ただ生きろや ただ楽に生きろや。
この前東京に行ってから約一週間、何もしないでいたけど結論として紹介してもらった求人に申し込むのをやめて、実家に居ながらアルバイトをして勉強をする事にした。10日の午後に、求人を紹介してくれてた営業の人の名刺のメールアドレス宛てに、それぞれ断りのメールを送った。
昨日は目についた散らかったところを少し整理したり、簿記のテキストの解答用紙をコンビニにコピーしに行ったりした。コンビニに行った帰りに無料の求人誌をもらってきた。
実際にする仕事が大事で、資格にこだわるのは本末転倒なんじゃないかと思うんだけど、(実際、経理の仕事をする上では二級で十分で一級はオーバースペックだというような事をインターネットでみたことがある)一番上まで修めたいという気持ちもあるし、独学が厳しいといわれているのは一級で、もしそれが出来れば自信がつくのではとも思う。また独学の言葉通り、独りで学ぶという事が通用するという事が証明される事は、自分にとっては人より意味のある事である。
もし一級をアルバイトをしながら取れたら、公認会計士の試験を受けてみたいなぁと思っている。元々、経理をやりたいというよりも、公認会計士に憧れて簿記を始めたというのが本当のところである。就職の面接を受けても、じぶんのなかで整合性が保たれない為、気持ちが悪い。
それがどんなに幼稚なことでも、自分に正直なことが一番であると思う。うまくいかないかもしれないけど、それをまだ失敗していないわけで、自分のしたいようにしなければ結局俺はなげだしてしまうんじゃないかと思う。
みんななぜ働いているんだろうか。家族があって養う為に働いているんだろうか。みんなが働いているから働いているんだろうか。好きなものを買う為に働いているんだろうか。
ワーキングプアというNHKの特集の再放送を観た。何を言っているんだ俺はと思った。
じゃあ何で人は人と関わるんだろう。
人に何も求めたらいけない。
人と関わろうとすると、その人にとって自分が一番じゃないと満足できん。でも追われると逃げたくなる。自分が無いからそういうことになる。自分が出来てから、人と関わらないとだめだ。
5日は東京に行ってきた。軽い気持ちで経理職専門の仕事紹介会社のサイトに登録したら、即電話が掛かってきて、面談をすると言われたので、先延ばしにしてもその延びた時間を有効活用するわけではないし持て余してしまうので、じゃあ明日行きますと答え、電話が掛かってきたおとといの明日である、5日に行ってきた。
自分が登録したのが始まりだけど、すぐに向こうから電話が掛かってくるという予期しなかった事態が、何か向こうからやってきた機会のように感じて、流れに流されて、自分の確固たる意思ではなく、行動をした。
流れに促された行動。5日の一日間という時間限定という条件の下で、俺はバイタリティのあるまともな人間みたいに、活発に行動する。その一日間だけ別人みたいに、堂々たる態度で色々と仕事を紹介してくれる人と話す。質問する。判断する。その一日間限定で。
行きの高速バスの中で、行動に出ている自分に内なるエネルギーのような物を感じ、帰りの高速バスの中で、精神的にも物理的にも本当に一人きりでやっていけるのかという事と、今の生活は一人でいる様なもので、東京に一人で出て行くとしても、何ら変わりない、むしろその状態になる事を望んでいたはずなのに、本当の一人になるという事を現実的に想像した時に、孤独を怖がっている自分にとって、一人でいるという事は一体何だったのかという事を考えた。
そして、そんなに深刻に考えていたのにも関わらず、それが大げさな取りこし苦労だったみたいに、家に帰ってきて数時間経つと昨日までの毎日みたいにだらだらしている。
ジェットコースターみたいな曲線グラフみたいな行動。刹那的。一貫しない。そんなのじゃなくて、もっと、徐々に、一定に、少しずつ、着実に、それが真理なのに、俺は前者だ。
シンプルにまっすぐじゃない。俺は感情がよくわからない。自分がよくわからない。理を捨てた本当の自分の考えている事、素直な思いが無い。クダラナイ理にまみれて、本当の自分の声が聞こえない。そんな頭で導き出した前向きな行動「一人になろうとする俺が完全に一人の状況で経理の仕事をする。」
ざわざわと感じるのは、無視するべき不安の気持ちなのか、本当の俺の声なのか。
昨日は発達障害のフォーラムに行った。自分と重なる何かが色々見つかって、自分がアスペルガー症候群であるという気持ちが強まるんじゃないかと思っていたけど、自分の思っていたようにはならなかった。
いくつかの会場で色んな話を一日中聞いた。来ている人は、自分の子供が発達障害で困っている親、特に母親の人が多くて、それが大部分だった。
いくつかの場所で自閉症の人を見た。自分よりとても苦しんでいるように、自分なんか全然発達障害じゃないように思えた。
診断名をつける事は重要じゃなくて、困っている事があって、それを困らないように負担が軽減するようにしていくという事が重要だと、精神科医の先生が言っていた。俺は苦しいと思っている。でもたぶん相対的にはすごくは困っていない。苦痛かどうかは置いておいて、俺はどうすれば良いかという事は自分で考えられると思う。
俺は自分が他の人よりたいへんだという証拠を欲しがっているけど、フォーラムにいた人はどうすればいいかの具体策を求めて来ていた。その為の会だった。
俺がたいへんだなあと思っている事は、俺が思っているから確かにたいへんであるという事で、それが本当に苦しいのか?と周りと比べる為に診断を受けて診断名をつけるのは本質じゃないというのが、先生の言っていた事だろう。俺がたいへんなんだから、それは確かにたいへんであるという事である。そしてたいへんではあるけども、自分で自分を支援できる。ニキリンコさんが、自立とは当事者と支援者の兼任であると言っていた。俺は自立できる。





